「常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう。」
  ―アルベルト・アインシュタイン

 2020年2月28日(金)、リブセンス社内で「“常識”を考え直すワークショップ」と題された、常識や偏見(バイアス)について考えるワークショップが実施されました。この研修は、わたしたち従業員自身が、リブセンスの企業としてのあり方を考え再定義するために昨年から取り組んでいるプロジェクトの一環で、「わたしたちが変わるための9つの指針」の実現を目指し企画されたものです。

このワークショップは、ワークショップデザインのプロである株式会社ミミクリデザイン、社会的マイノリティの方にスポットライトを当てるメディアを運営するNPO法人soarの3社で開発されました。当初は社内向けの研修でしたが、「バイアスの問題はリブセンスの従業員だけに関わるものではなく、ワークショップで得られる学びを社外にも届けたい」との思いから、社外の参加希望者も招待することになったのです。

全3回のワークショップのうち、今回は記念すべき1回目の体験記です。

実際に参加したわたくし広報担当・小山が、いち受講者として何を考え、何を感じたのかをお伝えしたいと思います。

ファシリテーターのミミクリデザイン臼井さん

■常識は偏見。偏見は無意識に身につけた「ものの見方」。

初めにファシリテーターの臼井さん(ミミクリデザイン)から、ワークショップの目指すところについてこのような説明がありました。

「“常識”を考え直すワークショップの目的は、自分の『ものの見方』と、他者の『ものの見方』に違いがあることを認識し、なぜお互いがそのような『ものの見方』をするようになったのか、背景にはどんな感情や思考の流れがあるのかを想像し、考え、対話する中で、違いを尊重し合える「新しいものの見方」を作り出すことです」

ちなみに、私が参加した理由は、日常会話の中に出てくる「普通○○だよね」や「常識的に考えたら○○」という言葉に対して、その「普通」や「常識」って一体どのくらいの人に当てはまるんだろう?としばしば考えることがあったので、一度そのことについてじっくり向き合ってみたいと考えたからです。

ワークショップ参加者

■対話型鑑賞で実感した、異なる「ものの見方」の貴重さ

当日は、社員16名、社外の参加者4名の計20名が受講しました。連日クルーズ船のニュースが流れ、新型コロナウイルスの影響が日本にも出始めていたタイミングだったこともあり数名のキャンセルはありましたが、開始前に全員の検温、手のアルコール消毒等を行うなど、予防対策を講じたうえで開催されました。

「“常識”を考え直すワークショップ」第1回のテーマは、『アート作品』を通して考えるものの見方。取り組んだ内容は大きく2つです。

①アート作品の「対話型鑑賞」(※)
②炎上した雑誌の表紙イラストのリデザイン
※対話型鑑賞とは、作品を観た時の感想や、そこから想像されることなどをもとにして、グループで話し合いをしながら、その対話を通して観賞する方法。作品の意味や技法、作者に関することなど、美術の知識をもとにして作品と向かい合う従来の美術鑑賞と異なる方法。

まずは「①アート作品の対話型鑑賞」。会場に準備されていたいくつかのアート作品(写真、動画、絵画)の中から、2作品を選択して鑑賞しました。私たちのグループは、写真と動画を選びました。

実際に鑑賞した写真作品
実際に鑑賞した写真作品

大半の受講者が「対話型鑑賞」初体験ということで、1作品目はファシリテーターとともに実施しました。

【1作品目:人物の写真】
はじめの数分間、まずは各自作品と向き合い、無言で鑑賞しました。

鑑賞していると「モデルは女性なのか?なぜ裸に帽子なのか?よく見ると胸のふくらみがあるから女性のようだ、でも帽子と太い眉と凛々しい表情が男性的だな、もしかすると身体は女性で心は男性なのかもしれない」など様々な疑問と憶測が湧き出てきました。また、受けた印象は、すこしネガティブなものでした。それはきっと、自分の常識に照らし合わせた時、モデルの性別も写真の意図することもよく分からず、「分からない」ことが不安だったのだと思います。

一人で鑑賞した後は、その作品を眺めていた6名で対話型鑑賞を実践しました。ファシリテーターの進行に沿って、各自持ち寄った意見や疑問、感想が共有されました。「この人がどんな気持ちなのか表情から読み取るのが難しい」「とても痩せているので病人なのかもしれない」「胸元の白い布や背後の植物のようなものが何なのか気になる」など、自分と似た見方をする人もいれば、自分ではまったく考えつかなかった見方をする人もいて、純粋にいろんな意見があることが面白かったです。

また、このとき「自分と意見が違っても発言者の意見を否定しない」という前提ルールがありました。発言を否定されない安心感があることで、自分の発言の正誤や他人の評価を気にせず、自由な発言が可能になったと思います。

ひとしきり感想が出そろった後、ファシリテーターから作品の情報が明らかにされました。「このモデルは女性です」「女性は有名な画家です」「写真を撮ったのは写真家である夫です」たったこれだけの情報だったのですが、私の中に新たに「愛する男性の被写体になる女性」「夫婦でもあり芸術家の同志」「夫にしか見せない有名画家の飾らない表情」という見方が生まれ、モデルの表情がさっきとは打って変わって、明るく柔和に見えるようになりました。

この体験を通して、いかに自分の常識を通してものを見ているかということ、同時に、きっかけがあればあっさりとものの見方は変わることを、身をもって知ることができました。

棒人間のイラスト

【2作品目:棒人間の動画】
次はファシリテーターなしで、動画作品を見ながら対話型鑑賞を実践しました。動画の内容は、棒人間が様々な日常動作をするという、シンプルなアニメーションでした。絵もシンプルで、まさに上記画像のようなザ・棒人間。

しかしこの棒人間、動きが特徴的なのです。内股で走る仕草、髪をかきあげる仕草、道ばたで井戸端会議をする様子など、その動作は明らかに「女性」を意識したものに見えました。

先ほどのようにまずは一人でじっくり動画を鑑賞し、その後グループでの対話へと移りました。結果、全員が「どれも女性っぽい動きをしているから、この棒人間は女性だね」という意見で一致しました。

私自身は「あの動き、女性と見せかけて実は男性の可能性もありそう」と、疑り深く見ていました。

同じ動画を見ていた他グループからは「この動画は女性っぽさを誇張している気がする。私はこんな動きはしていない。もしかしたらこの動画には“女性っぽさとはこういうもの”というバイアスがかかっているのかもしれない」という意見も出ました。なるほど!それは考えなかった!と、目からうろこでした。

ものの見方が似ている者同士だと、なかなか視点を変えて対話することが出来ない難しさもありました。反対意見を言われることが苦手だったはずなのに、このワーク後は、自分の視野を広げる機会は、自分と違う意見の中にこそあるのだと知り、初めて『反対意見が欲しい』『自分とは違うものの見方が出来る人の意見を知りたい』と感じました。

スマホに映し出される問題となった表紙
スマホに映し出されているのが、問題となった表紙

■20人いれば20通りのものの見方がある

次のワークは「②炎上した雑誌の表紙イラストのリデザイン」です。

リデザインするために与えられた情報は2つ。1つ目は「炎上した雑誌の表紙イラスト」。AIに関する雑誌の表紙には、女性型お掃除ロボットが腰に電源コードを挿し繋ぎ、ほうき片手に本を読む姿が描かれていました。そのロボットの見た目は、黒髪ストレートヘアを三つ編みにして、ロングのワンピースを着た、おとなしそうな雰囲気の女性です。

2つ目は「炎上についての記事」。記事の内容は、表紙のイラストを批判する人たちの「女性が家事を強制されている絵だ。これは女性差別だ」という意見と、雑誌制作側の「女性差別の意図は一切なく、女性メンバーを含む投票で決まった女性イラストレーターの絵です」という意見が紹介されていました。

私も、絵を最初に見たときに違和感を覚えたので、批判側の意見も一部理解できます。同時に、雑誌制作側がどうしてこの表紙にGOサインを出したのか不思議に感じました。出版されれば世の中の多くの人の目に触れるし、色んな見方をされます。何より自分たちでこの表紙を見て気になる部分は本当になかったのかが気になりました。

そうやって色んな視点に立って考えるうちに、頭の中がグルグルし始めました。それを整理するべく、表紙イラストを見て「いいなと思った点」「気になった点」「改善すると良さそうな点」を各自書き出し、メンバーと対話しました。

「炎上の原因は“繋がれている・囚われている感”だと思う」「本を読んでるってことは人に仕えるロボットだけど精神は自由ってことなのかも」「この絵が女性でも男性でも批判する人はいるから、もはや性を排除したらいいのでは」など。3人の間でも意見が一致する部分しない部分が様々あり、まだら模様のようだったと思います。

私としては、「女性型ロボットが家事をしている」こと自体に問題はないと考えました。理由は、現実において家事は年齢性別問わず生活のために行うことであり、女性が家事をすることそのものに差別要素はないと考えたからです。

一方、違和感を抱いたのは「腰に挿してある電源コード」と「暗い表情」でした。電源コードはこのロボットの動力(命)→コードがないと生きていけない→コードに縛られている、という連想が進み、私の中では「コード=不自由さ」になりました。またそれに関連して、「暗い表情」は意思に反して縛られている状況への不服の表情のように見えました。他には、「平等」を打ち出すのであれば、家事をする男性型ロボットも登場させれば問題にならないのか?なども考えました。

さまざまな考えをくぐり抜け、辿り着いたのは次のようなリデザイン案です。

小山のリデザイン案

元の表紙をベースに、改善点をピンポイントでリデザインしようと試みました。改善点は前述のとおり、「電源コード」と「暗い表情」。改善策として、電源コードは髪飾り型電源にすることで物理的な自由さを与え、暗い表情は笑顔にすることで、お掃除ロボットが自分の仕事にやりがいを持って主体的に働く様子に変えました。

各自がリデザイン案を書き終えると、次は鑑賞。青色のシールと赤色のシールが配られ、「いいね」と感じた作品には青色を、「モヤモヤする」と感じた作品には赤色を貼っていきます。

全員の案を見て回りましたが、一つの作品に青色と同じくらい赤色が集まっていたこともあり、こんなに分かりやすく意見は分かれるのかと興味深かったです。

私のリデザイン案にも「モヤモヤする」の赤がいくつかつきました。その場で訊くには勇気が要りますが、シールを貼ってくれた人全員に何を感じて貼ってくれたのか、対話してみたいと感じました。

■「ものの見方」が違うからこそ個性が生まれる

今回のワークショップを通して、「同じイシューを眺めていても、解決策は十人十色である」ことに気が付きました。『女性型ロボットだけに家事をさせる様子』が改善点だと認識していても、出てきた改善案は「子守用の男の子型ロボット」「子守用の箱型ロボット」「自律型の全自動家電」「性別が問題にならないほど有名で人気なアニメキャラクター」など、実に多様な案がありました。

例えリブセンスという同じ会社で働いていたとしても、近しい年代、同じ性別、同じ国籍、気の合う仲間であったとしても、こんなにも一人ひとりの「ものの見方」は違っていて、個性に溢れているのかということが新鮮な驚きでした。

「自分と他人は別人格、一人ひとり個性は違う」と頭で分かっていても、どこかで「言わなくてもこれくらい分かるでしょ」「きっとあの人もこう思ってるはず」と、なぜか自分と同化させて考えがちな場面は誰しもあると思います。自分の中に思い込みがあることを気づかせてもらえた時間でした。

自分の「普通」や「常識」が相手にとっても当たり前であると思い込まず、互いの「ものの見方」に違いがあることを今一度認識するためには、対話がとても重要であることを体感しました。

第2回のワークショップは5月13日から始まります。次はどんな発見を得られるのか、今から楽しみです。

第2回「“常識”を考え直すワークショップ[歴史編]」開催概要はこちら